1 公立学校教員の長時間勤務による適応障害の発病につき損害賠償を全額認容した判決
大阪府立山田高校の社会科の現職教員である西本武史先生(現在34才)は、平成29年7月20日頃に適応障害を発病したことにつき、大阪府に対し230万円の慰謝料等の損害賠償(国家賠償)請求の訴訟を平成31年2月25日大阪地裁に提訴した。西本先生は現職の高校教員ながら、提訴時より自らの氏名等を全て公表してこの事件に臨み、証人尋問や判決時には卒業した多くの教え子が傍聴席を埋めている。
平成29年度の西本先生の校務分掌は、教科担当(世界史)、クラス担任(1年5組)、部活動顧問(ラグビー部)に加えて、生徒のオーストラリア語学研修等を担当する国際交流委員会の主担当(責任者)等であった。
国際交流委員会の前任の責任者が他校に異動したため、経験のない校務はその余の校務のみでも過労死ラインを超える長時間の勤務に就いていた、西本先生の大きな負担となった。
西本先生は、平成29年7月20日頃適応障害(当初の産業医である内科医の診断としては慢性疲労症候群)を発病し、平成31年2月まで通院治療を受け、その間2回に分けて約3ヵ月の病気休業、休職を余儀なくされた。
客観的な出退勤の記録に基づき判決が認定した発病前6か月間の西本先生の週40時間を超える時間外勤務時間は、
発病前1か月 112時間44分
2か月 144時間32分
3か月 107時間54分
4か月 95時間28分
5か月 50時間58分
6か月 75時間52分
であった。
厚労省や地公災の定める精神障害の認定基準からも大きく逸脱する長時間勤務であり、電通最高裁判決(平成23年7月12日第3小法廷判決)で判示された、長時間勤務による心身の安全配慮義務の内容からするなら当然の判決である。
大阪地裁は令和4年6月28日、原告が請求した慰謝料200万円等、230万円余りの損害全額を認容する判決を下し、被告大阪府はこれに控訴せず確定している。なお、併行してなされていた地方公務員災害補償基金大阪府支部長に対する公務災害認定請求についても、結審直前の令和4年2月22日に公務上認定が下されている。
2 給特法の下での公立学校の教員の時間外勤務と安全配慮義務が争点
この事案で争われたのは、半世紀前に制定された公立学校教員に適用される、公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(以下、「給特法」という)では、校外実習、修学旅行、職員会議、非常災害の業務(超勤4項目)以外の時間外勤務は、教育委員会や校長の指揮命令によるものではなく、自主的・自発的勤務とされてきた点にある。
教員の時間外勤務の殆どを占めている部活指導、授業準備等はすべて自主的・自発的勤務とされ、それについての時間外勤務手当の請求訴訟は「給特法」により敗訴を重ねてきている。
西本先生の訴訟は時間外勤務手当請求の事件ではなく、長時間勤務により心身の健康を損なうことについての安全配慮義務(国家賠償法1条の注意義務)を争う訴訟である。
3 多くの過労死等の公務上認定がなされているのに損害賠償請求は稀有であることの異常さ
公立学校の教員の長時間勤務等による過労死・過労自殺等の地方公務員災害補償基金での認定や、公務上外を争う訴訟での勝訴判決は多く積み重ねられている。
しかし、公務上と認定されても損害賠償請求される事案は稀有であり、先例の勝訴判決としては後述の福井地裁令和元年7月10日判決(労働判例1216号21頁)があるのみである。
とりわけ西本先生のように死亡に至らず、精神疾患発病により休職している公立学校の教員が全国で5000人前後(令和2年度公立学校教職員の人事行政状況報告)であるのに、寡聞ながら損害賠償提訴事例は西本先生の事件以外聞いていない。
民間労働者や一般の地方公務員を問わず、長時間勤務により過労死等が業務上(公務上)認定された事案の殆どについて損害賠償請求がなされているが、公立学校の教員については稀有である。
4 山田高校における勤務時間についての資料の存在
民間労働者、公務員を問わず長時間勤務による過労死等が生じる最大の要因は、勤務時間の適正把握が懈怠されている点にある。医師が患者の容態を看るのに壊れた体温計で計測しては適正に容態を把握できないのと同様である。
大阪府は、厚労省の定めた「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置についてのガイドライン」に沿った「要綱」を定め、
・校内勤務についてはOTR(オンラインタイムレコーダー)
・校外勤務については特殊勤務実績簿、旅行命令簿兼積算旅費内訳
により勤務時間数を把握していた。
かつては公立学校の多くではタイムカード、OTR等の出退勤(在校時間)の客観的記録がなく長時間勤務の立証が困難なことが多かったが、最近ではこれらの記録がなされている学校が多く、在校時間については原・被告間の主張には大きな齟齬はなかった。
5 被告大阪府の、時間外勤務は「自主性・自発性」勤務であり労基法上の労働時間ではないとの主張に対する判示
被告は、「教育職員の勤務は、本質的には『自主性、自発性、創造性』を有しており、特に公立学校の教育職員については、時間外勤務を命じることができる場合は、『公立の義務教育諸学校等の教育職員を正規の勤務時間を超えて勤務させる場合等の基準を定める政令』により規定される『超勤4項目』に限られるところ、原告の時間外勤務は、少なくとも渡邉校長からの時間外勤務命令に基づくものではなく、労働基準法上の労働時間と同視することはできないから、本件時間外勤務時間をもって業務の量的過重性を評価するのは相当でない」と主張した。
これに対し判決は、「勤務時間管理者である校長が、教育職員の業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積してその心身の健康を損なうことがないよう注意する義務(安全配慮義務)の履行の判断に際しては、本件時間外勤務時間をもって業務の量的過重性を評価するのが相当であり、本件時間外勤務時間が、校長による時間外勤務命令に基づくものではなく、労働基準法上の労働時間と同視することができないことをもって、左右されるものではないというべきである。」と判示した。
6 過重な長時間勤務の就労態様のみならず心身の健康状態の悪化の認識も明らかな事案
発病前の月100時間を優に超える過重な時間外勤務の就労態様についての校長の認識、あるいは認識可能性によれば、それのみで本件発病の予見可能性が認められ、安全配慮義務違反の責任が認められる事案である。
判決は更に、西本先生が発病前に校長らに対し発していた自己の心身の健康状態の不調についてのSOSも踏まえたうえ、「原告は、平成29年5月15日に記入し提出した自己申告票に、自らの時間外労働について、『土日の校外での部活動がカウントされていないが、その分、記録上の超過勤務だけでも100時間までに抑え、過労死を避けたい。』旨記載し、同月22日には、渡邉校長に対し、『心身共にボロボロです。』などと記載したメールを送信したほか、上記同年6月1日の目標設定面談においても、『体調が悪いです。いっぱいいっぱいです。』などと渡邉校長に伝えていたことが認められる。これらの事情によれば、渡邉校長としては、平成29年5月中旬頃から、遅くとも同年6月1日までの間には、原告の長時間労働が生命や健康を害するような状態であることを認識、予見し、あるいは認識、予見すべきであったから、その労働時間を適正に把握した上で、事務の分配等を適正にするなどして勤務により健康を害することがないよう配慮すべき注意義務を負っていたものと認められる。」と判示している。
7 本件と関連する判例
同種事案の判決として、既述した福井地裁令和元年7月10日判決(若狭町立中学教員の自殺事案)があるが、同判決は給特法の下での時間外勤務につき、
「これらの事務を所定勤務時間外に行うことについて明示的な勤務命令はないが、上記ア記載の業務内容や亡友生の経験年数からすれば、亡友生は、これらの事務を所定勤務時間外に行わざるを得なかったものと認められ、自主的に従事していたとはいえないから、事実上、本件校長の指揮監督下において行っていたものと認めるのが相当である。」としている。
なお、最高裁平成13年7月12日判決(京都市立小中教員の長時間労働事案・判例タイムズ1357号70頁)は、外部から認識しうる心身の健康被害が生じていない事案につき、長時間労働による精神的損害(慰謝料請求)が争われた事案であるが、予見可能性につき、
「時間外勤務命令に基づくものではなく、被上告人らは強制によらずに各自が職務の性質や状況に応じて自主的に上記事務等に従事していたものというべきであるし、その中には自宅を含め勤務校以外の場所で行っていたものも少なくない。他方、原審は、被上告人らは上記事務等により強度のストレスによる精神的苦痛を被ったことが推認されるというけれども、本件期間中又はその後において、外部から認識し得る具体的な健康被害又はその徴候が被上告人らに生じていたとの事実は認定されておらず、記録上もうかがうことができない。したがって、仮に原審のいう強度のストレスが健康状態の悪化につながり得るものであったとしても、勤務校の各校長が被上告人らについてそのようなストレスによる健康状態の変化を認識し又は予見することは困難な状況にあったというほかない。」と判示し、安全配慮義務が否定されている。
過労死等の心身の具体的健康被害や徴候が認められない事案についての判示であり、健康被害が生じている本件とは事例が異なる。
8 過労死等を熱血先生の美談で終わらせないために
西本先生の判決は、「給特法」の下で勤務する公立学校教員についても、長時間勤務による心身の健康に対する注意義務があることを認めたあたりまえの判決であり、学校現場の非常識を社会の常識で判断している。
富山地裁では滑川市立中学校教員がくも膜下出血で死亡した事案につき、過労死損害賠償請求事件が係属している。今後、公立学校の教員の過労死等についての損害賠償請求が、他の労働者と同様多く提訴されて然るべきである。今まで提訴が稀であったのは、給特法とともに教員の「聖職」意識も一因であろう。教員の過労死は、生徒のために授業や部活に尽くして亡くなった熱血先生の美談としてのみ語られるべきではない。
2019(平成31)年1月25日付けで中央教育審議会は「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」を発表し、
「我が国の学校教育の高い成果が、教員勤務実態調査に示されている教師の長時間にわたる献身的な取組の結果によるものであるならば、持続可能であるとは言えない。『ブラック学校』といった印象的な言葉が独り歩きする中で、意欲と能力のある人材が教師を志さなくなり、我が国の学校教育の水準が低下することは子供たちにとっても我が国や社会にとってもあってはならない。」
と述べている。
教育的取組みから生じる過労死等の法的責任の所在を明らかにすることなくして「ブラック学校」の抜本的な是正につながらない。
9 この判決の教育現場に対する意義
蛇足ながら、本件判決の教育現場全体の視点から意義付ければ、
⑴ 多数の長時間労働による過労死等の公務上認定事例があるにも拘らず、抜本的な改善がなされていない状況に対し、法的責任を明確にすることにより、教育現場での長時間勤務の是正、予防
⑵ 平成31年1月25日の「働き方改革」についての中教審答申が「学校教育の高い成果が長時間にわたる献身的な取組みの結果ならば持続可能であるとは言えない。」と述べるように、教育の現場におけるSDGsをすすめる
⑶ 教員の適正な勤務時間把握や長時間勤務者の産業医面接等の健康管理体制の徹底
⑷ 多くの精神障害による長期休職者の処遇の見直し
等であり、西本先生が「ちょっぴり」の勇気をもって提訴し、得たこの判決によって、その方向にバタフライエフェクトを生じることを望む。
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