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2024年8月28日 (水)

東大阪市立中学教員事件の判決から考える長時間勤務者の産業医面接制度

東大阪市立中学教員の長時間勤務による適応障害発病についての損害賠償請求事件の大阪地裁判決が、被告の東大阪市、大阪府の控訴することなく確定した。

 

この事件の審理のなかで、東大阪市教育委員会が作成していた月80時間を超える時間外勤務に従事していた東大阪市立の学校園の教員の一覧表の一部が提出された。

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原告となった教員以上に長時間勤務に従事している教員がいることが明らかになった。
文科省の通達(平成31年2月12日「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律による改正後の労働安全衛生法の解釈等について(通知)」)は、単月で100時間、複数月で月平均80時間(過労死ライン)を超えた教員については、本人の申出の有無を問わず、長時間勤務者の産業医面接の対象とすることを求めている。

 

しかし、その対象となる過労死ラインを超える教員は毎月多数に及んでいるのに、4月から10月までの7ヵ月間に長時間勤務者として面接を受けた教員は、自ら面接を申し出た数名に留まっていた。

 

訴訟のなかで、原告は東大阪市教育委員会の産業医面接の指導要綱を文科省の通達に沿って、過労死ラインを超えた教員については、産業医面接する内容に改訂することを和解の場で求めた。しかし、東大阪市はこの提案を一蹴したため判決に至っている。

 

心身の健康を損ねるおそれのある過労死ラインを超えて長時間勤務に従事している教員は、前記の一覧表のように多数いるにも拘らず、東大阪市に限らず多くの自治体の教育委員会が作成している長時間勤務者の産業医面接についての要綱等は、文科省通達に反して本人の申出を面接の要件としている。

 

教育現場では、日本の高度な教育が壊れるか、その教育を支える教員の心身の健康が壊れるかの二律背反の状況が生じていると言われるようになって久しい。
教員の心身の健康を守る最後の防波堤とも言える産業医面接を、文科省通達に即したものにすることの重要性を、この東大阪市立中学の教員の国家賠償請求事件のなかでも痛感した。

 

なお、地方公務員全体についても、総務省通達(総行安第3号平成31年2月1日)により、過労死ラインを超えた公務員については、本人の申出なしに面接することを定めている。
一方、原則として全ての労働者に適用される労働安全衛生法66条の8並びにそれに基づく規則は、過労死ラインを超えた労働者については本人の申出を要件としている。(文科省、総務省通達は、国家公務員についての人事院の規定にあわせて、申出なくとも実施するとし、その要件を緩和している。)
労働安全衛生法のこの条項の改正を見据える必要があろう。

2024年8月15日 (木)

なぜ、私は教員の過労死等の損害賠償事件に取り組むのか

1 東大阪市立中学の男性教諭が、教育委員会が把握していた時間外勤務時間によっても、月150時間前後の長時間勤務に従事するなか適応障害を発症した件につき、国家賠償法による損害賠償を東大阪市と大阪府を被告にして求めていた事件につき、大阪地裁は220万円の慰謝料等の支払いを認める判決を下した。

 

2 私が当事者・遺族の代理人として担当した、公立学校の教員が長時間勤務により心身の健康を損ねた件につき損害賠償を認めた事件の勝訴判決は、
 ①滑川市立中学ソフトテニス部顧問教員の過労死(くも膜下出血)
   富山地裁令和5年7月5日判決(確定・判例時報2574号72頁)
 ②大阪府立高校ラグビー部顧問教員の適応障害発病
   大阪地裁令和4年6月28日判決(確定・労働判例1307号17頁)
そして今回の、
 ③東大阪市立中学野球部顧問教員の適応障害発病
   大阪地裁令和6年8月9日判決
と3件になった。
 現在、訴訟係属中の事案としては、令和5年8月28日提訴した、福岡市立小学校主幹教諭の急性心臓病死についての損害賠償事件等がある。

 

3 私は多くの公立学校教員の過労死等の公務上認定に取り組んできた。
 しかし、給特法の下、公立学校教員の時間外勤務は、勤務時間として評価されず、自主的・自発的勤務と「整理されてきた」状況の下では、勤務時間は適正に把握されることなく、出勤簿に押印のみという学校が多かった。
 公務上認定による補償を受けるためには、遺族らと弁護団の「見えない時間外勤務」を可視化するための多大な努力が求められ、10年以上かけてようやく訴訟で公務上認定されるという状況が続いた。
 その苦闘を経て、ようやく認定されたことに職場の校長も含めた教員から「よかったね」との声がかけられ、マスコミからは「熱血先生」の過労死として取り上げられた。
 しかし、教育現場やマスコミのそのような受けとめ方に、私は同感しつつも違和感が残らざるを得なかった。

 

4 過労死問題に取り組みはじめて私は半世紀近くになるが、過労死についての取り組み(それは過労死運動と私は呼んでいるが)は、労災(公災)認定から最高裁電通判決(2000年)を典型とする企業賠償責任、更には過労死等防止対策推進法の成立につながる、認定→責任→予防の流れをつくりあげてきた。

 

5 しかし、教員については、ラクダが針を通るより難しかった公務上認定に留まり、責任=行政に対する賠償責任追及の手前で、私も含めて足踏みをしたままだった。
 過労死運動の流れで学んだことは、労災(公災)認定で終わってしまっては、実効ある職場の長時間勤務の是正や過労死等の予防につながらないということだ。
 責任の問題を問うことなしには、勤務時間の是正、予防は実効性あるものにならない。
 教員の働き方改革で欠落しているのは責任の問題であると考え、損害賠償請求訴訟による責任の明確化を通じての、日本の高い水準の教育が壊れるか、その教育を支える教員の心身の健康が壊れるか、その二律背反の状況の抜本的な改善を望むことはできない。

 

 何回かに分けて、この問題について考えてみたい。

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