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2018年11月30日 (金)

やりがい「搾取」の過労死・過労自殺(1)

働くことは、その仕事の内容や勤務先への思いのなか、多かれ少なかれ、やりがいがともなうことは言うまでもない。
教師であれば、生徒が生きる力をつけ、学力をあげ、あるいは部活でよい結果を残すことに、大きなやりがいを感じるであろう。
私も、大学を卒業するまで、そんな教師という仕事のやりがいに魅力を感じ、教師を目指したことがあった。
仕事へのやりがいと同様に、あるいは日本の企業社会のなかでは、勤務先のカイシャのためにというやりがいも多くの比重を占めている。

(今、前日の米子の皆生温泉での勤務医の過労死についての講演を終え、伯備線で岡山に向かう途中、中国山地の燃えるような錦秋を楽しむべく一時中断…)

そのやりがいの仕事に対し、労働者の「自主的・自発的な活動」だとして、使用者が労働時間管理を怠り、それに対する正当な対価を支払わなければ、その仕事や「カイシャ」は労働時間泥棒としてブラックな評価がされることになる。
過労死・過労自殺の多くの事件は、労働時間が適正に把握されていない下での使用者の時間泥棒によって生じていることは、何度もこのブログで強調してきたことだ。

教師については、文科省の2017年に公表された調査によっても、月80時間の時間外勤務がされているのに、給特法により僅か月8時間相当の教職調整額が支給されるのみで、時間泥棒が正当化されている。
8時間を超える時間外勤務は、教師がその仕事へのやりがいのために行う自主的・自発的活動とされてしまう。

昨日講演した勤務医についても、「患者の命と健康のためなら」とのやりがいの下で、不払残業があたりまえになり、勤務時間が把握されない下で、多くの過労死・過労自殺が生じている。

私が担当している大阪の大手生活協同組合が経営する店舗の精肉部門の社員も、「一人は万人のために、万人は一人のために」の理念の下、組合員が協同してより良い商品を提供するという生協が好きで勤務していた。
しかし、長時間勤務が続くなか、虚血性心疾患を発症し、平成29年3月5日過労死している。
日々早出・残業が続いていたにも拘らず、ほぼ所定の始・終業時刻に打刻がされていた。
精肉部門の責任者として、そして生協に勤務することにやりがいを感じていた社員として、パート・アルバイトの人件費を削ることができないなか、自分の早出・残業代を削って申告するなか過労死に至っている。
このような働かせ方は「やりがい搾取」からうまれる「やりがい過労死」と言っても過言ではない。
この件については、毎日放送が放映しており(https://www.mbs.jp/voice/special/archive/20181115/)、近日大阪地裁に提訴予定だ。

再び車窓の景色に戻るが、つぎのブログでもこの問題について考えてみる。

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