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2017年6月 6日 (火)

過労死とフォークダンスとアカギレ

先日、東京の高田馬場のおいしい中華料理店で、高校時代のクラス会が開かれた。
男女共学だったので、体育祭あるいは校外キャンプの後にはフォークダンスがよく行われた。
マイム・マイム、オスローワルツ・・・なつかしい曲にあわせて、青春時代の熱のたぎる時だった。
とはいえ、当時の私は、女生徒と手をつなぐと手がふるえるほどウブな年頃、その恥ずかしさもあって、ダンスではいつも女性側の役、とはいえそれはそれで心憎からずと想う女生徒の後についたときは、常にその後を「合法的」にストーカーできるという「楽しさ」もあったことがなつかしい。

フォークダンスで女性と手をつなげるようになったのは大学生時代。(といっても父が高校時代に事故で亡くなったので、大学には殆ど行けず、専ら家業の米穀店で配達の仕事をしていたが)
近くの商店街で働く若者たちと「商店街のつどい」というサークルをつくって、ボロの集会場でみんなでうたごえやフォークダンスで楽しい一時をすごしていた。
当時は商店街で働く若者の多くは中卒で集団就職してきた「金の卵」。
朝早くから、夜遅くまでの仕事を終えた土曜の夜、この会に集っていた。
オクラホマミキサーのフォークダンスで、漬物屋さんで店員として働いていた娘さんと手をつないだとき、その手があかぎれで痛々しそうだったことに気づき、つい「なぜ」と聞いてしまった。
「寒い朝早く、漬物だるをかきまぜるから」と一寸うつむきながら話したことが、働くことの厳しさに気づかせてくれた。
その娘さんだけでなく、プレス工場で働くなか、指を2本はねてしまったサカタ君、はねた油でいつもヤケドをしていた天ぷら屋のゴロテン君など、みんな厳しい仕事を終えたのち、心のつながりを求めて会に集っていた。
漬物屋の娘さんのあかぎれは「なぜ」と聞いた自分への自責の念と共に、私の心の通奏低音となった。

弁護士となり、還暦を迎えたとき、私の心に最も近い事件として過労死を選び、その専門弁護士を目指した理由には、フォークダンスでのあかぎれの記憶がある。

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