電通過労自殺事件を考える②
最高裁調査官の、自己申告が過少になされることについての分析
故大嶋一郎さんの過労自殺につき、平成12年3月24日に下された、最高裁電通過労自殺損害賠償請求事件判決は、「企業賠償責任元年」を切り拓いたと言っても過言でない重要な判決だった。
この判決を下されるにあたって事件の検討をした八木一洋調査官(裁判官である)の判例解説〔最高裁判例解説民事篇平成12年度(上)〕は、被災者救済の点において、判決そのものにも劣らない、その後の過労死・過労自殺の判決をリードする重要な論文である。
電通等、自己申告による労働時間管理を採用している「優良企業」において、自己申告が過少になされることについて、前記判例解説の注50において、つぎのように述べている。長文になるが引用しよう。
「今後の議論の材料として供する趣旨で、簡単なモデルを提示する。設例の職場では、中間管理職が、その管掌する部署に属する従業員につき人事考課を行うものとされており、中間管理職自身も、部下である従業員の業績等につき上司による人事考課を受けるものとする。中間管理職自身に対するものも含め、人事考課上の指標としては、業務の成果物の量と労働生産性が重視されているが、従業員の労働時間の合計については上限が課されており、中間管理職がその管理に当たるとされているものとする。そして、中間管理職も、従業員も、人事考課の結果に基づく将来の昇進のいかんにより、収入は大きく左右されるものとする。
一般に、従業員の業務の負担が過重となる原因としては、① 当該業務につき配置人員が過少である、② 上司(設例では中間管理職)の業務遂行に関する指示が不適切である、③ 従業員の業務遂行の方法等が不適切であるといった事由が考えられるが、右のような前提の下に中間管理職が労務管理に当たる場合には、③の点に焦点が当てられやすくなるものと思われる(殊に、①の点は、中間管理職及び従業員のいずれにおいても、自己の能力に関する評価にかかわるため、論点として挙げにくい。)。ところで、③の点は、従業員に対する人事考課上の指標とされるその労働生産性の問題と、表と裏の関係にあるものである。労務管理に当たる中間管理職自身も部下の従業員の業績により人事考課を受ける場合には、従業員の業務の負担の調整と、人事考課上の指標としての従業員の業績の向上との間に、相反する傾向が生ずる可能性が高く、当該中間管理職の関心の在り方いかんによって、いずれが重視されるかが大きく左右されるものと思われる。
既に労働時間の上限に近い状態で業務が遂行されている状況において、中間管理職が更に業務の成果物の量の増大を目指し、一方、業務の性質からしてその効率性(実質労働生産性)を向上させることが困難な場合には、実際には右上限を超える労働時間につきその名目量の調整をもって対処するほかはない。これは、名目労働生産性を実際よりも高いものであるかのように示すことと同義である。当該職場において労働時間の自己申告制が採用されているならば、従業員にその労働時間を過少に申告させることによって、右に述べたところに沿う結果を得ることができる。これに対し、従業員としても、前記のような状況下において、中間管理職の関心が名目労働生産性の点にあり、それが自己の能力の評価、ひいては昇進に影響すると認識している場合には、労働時間を過少に申告することによって現在失われる利益よりも、自己に対する評価が高まり昇進することによって得られるであろう将来の利益の方が大きいと判断して、労働時間を過少に申告する行動を選択することがあり得よう。発端となる事情のいかんはひとまずおいて、当該職場において右のような行動を執る従業員がある程度の数に達すると、労働時間を過少に申告することが、従業員間の人事考課上の競争における事実上の前提条件と化する可能性がある。こうした状態が生ずると、遅れて当該職場に加わった者(新入社員等)について、業務遂行に不慣れなことに起因する当面の労働生産性の低さを補う事情もあり、既に競争の前提条件となっている労働時間の過少申告行動を採用しようとする傾向が高まることが考えられる。」
この論文を読むまでは、正直に言って、私は裁判官は世間を知らないとの気持ちを持っていた。しかし、会社や労働者を含めた世間を冷静に、かつ的確に見通したこの論文を読んでから、そのような考えを、裁判官一般に持っていたことを反省している。
皆さまは、この論文をどのように受けとめられましたか。
« 電通過労自殺事件を考える①
再び繰り返された電通事件―2つの過労自殺事件の共通性 |
トップページ
| 電通過労自殺事件を考える③ »
« 電通過労自殺事件を考える①
再び繰り返された電通事件―2つの過労自殺事件の共通性 |
トップページ
| 電通過労自殺事件を考える③ »
コメント