過労死からみた部活の光と影
地元の町内会の夏まつりに顔を出した。高齢化が進み空家の目立つ町内のまつりだが、たくさんの子どもたちが元気に加わっているのに、久々に心楽しい気持ちになった。
中学校の吹奏楽部は、クラシックからテレビ番組の主題歌、童謡と、曲目に変化をつけながら、上質の演奏を聞かせてくれた。指揮をする顧問の先生の日々の部活指導の結果だろう。
指揮棒を持った体を大きく上下に左右に揺らしながら、真剣なまなざしで、演奏する生徒の一人一人をみつめながら、指揮に没頭している姿には感動を押さえることができなかった。
啄木の「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」との句が、その姿と重なった。
同時に、夏休み中、休み明けにあるコンクールに向けて、1日も休むことなく、中学の吹奏楽部の指導に全力を尽くすなかで白血病で亡くなった教師の事件も心に浮かんだ。
私も高校時代、弱小ながらも軟式庭球部のキャプテンをするなかで多くのことを学んだし、息子も中学・高校のバスケット部の部活のなかで輝いていた。
一方、この1年余りの間に、私が担当する3件の教師の過労死事件で公務災害としての認定がなされたことは、「中学校の部活動顧問の過労死」のブログで述べたとおりだ。
部活が、それなしでも校務に追われる教師に過大な負担となり、心身の健康を損ねることのないよう行われるべきは当然である。それが、顧問の教師にとって生き甲斐となったとしても、過大な負担となり、教育全体を歪める結果となってはならない。
では、部活はどうあるべきなのか。教師のなかでの議論の深まりに期待したい。
« 道路貨物運送業の過労死の認定率の高さの背景にあるもの | トップページ | 過労死から考える「副業解禁」論 »
コメント