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2016年8月31日 (水)

過労死から考える「副業解禁」論

東京出張の帰りの新幹線のなかで目を通した雑誌に、「副業解禁」と題した記事が掲載されていた。

非正規雇用の若者が低賃金の下で1つの仕事では生活できず、複数の仕事を掛け持ちしているという「副業」はあたりまえになっている。

しかし、この記事は、正社員についても「副業」を認める方向を目指すべきだと主張している。曰く、
「リストラや積極的な転職で別の企業に移籍することがありうるとなると、自分の市場価値を客観的に知り、それを高めておく必要が生じる。副業の経験は、そのために有用なのだ。」
「なかでも自分たちより上の世代を見て、企業まかせのキャリア形成に不安を感じている若い世代は、自分のキャリアは主体的にデザインする必要性が高いことを自覚しつつある。彼ら、彼女らにとって『副業』ならぬ『複業』は、将来のための保険であり、同時に自分なりのキャリアを展開し、幸福な人生を送るために必要な戦略でもあるのだ。」
「副業により、本人のキャリア展開の可能性が広がり、自立心が高まることが、かえってプロとしての自覚を高めて、それも本人の仕事のパフォーマンスの向上につながることもある。」

アベノミクスの「働き方改革」のテーマとなりそうな問題だ。

私は正社員の「副業解禁」論は、それによって正社員の賃金等の労働条件の切り下げやリストラにつながるとともに、「正業」と「副業」とをあわせた長時間労働が手放しになるおそれがあり反対だ。

労基法38条1項は「労働時間は、事業場を異にする場合においても、労働時間に関する規定の適用については通算する。」と定めている。

労働者が「正業」で8時間労働したのち、「副業」で3時間労働した場合、労基法上は「副業」の3時間分について時間外労働として割増賃金を支払わなければならない。(若者の副業の多くではこの労基法違反がまかり通っているが。)

「正業」「副業」あわせての労働時間をどう管理し、時間外労働に対する割増賃金を適正に支払わせるのは、「正業」においてさえ労働時間の適正把握がなされていない現状を考えると極めて困難と言える。

更に、過労死・過労自殺の労災認定から考えると、厚労省は業務の過重性を判断するにあたって「正業」の労働時間しか評価せず、「副業」の労働時間は評価しないとの考えだ。

非正規の若者を中心に、生活苦のなかでの「副業」=「ダブル・トリプルジョブ」の労働現場のしんどさを考えるなら、「正業」「副業」をあわせた労働時間等、業務の過重性を踏まえた過労死の労災認定がなされるべきだ。

正社員・非正規を問わず「正業」の労働時間管理が適正になされていない現状の下で「副業」を広く認めることは、ワーク・ライフバランスに反するのみならず、労働者の心身の健康を損ねる危険をもたらす。
また、正社員を非正規と同様の低賃金の下でのダブルジョブの状況に追い込むことにならないか。
雇用の保障された「正業」の枠組みのなかで労働者のキャリア展開を考えるべきだ。

2016年8月 2日 (火)

過労死からみた部活の光と影

地元の町内会の夏まつりに顔を出した。高齢化が進み空家の目立つ町内のまつりだが、たくさんの子どもたちが元気に加わっているのに、久々に心楽しい気持ちになった。

中学校の吹奏楽部は、クラシックからテレビ番組の主題歌、童謡と、曲目に変化をつけながら、上質の演奏を聞かせてくれた。指揮をする顧問の先生の日々の部活指導の結果だろう。
指揮棒を持った体を大きく上下に左右に揺らしながら、真剣なまなざしで、演奏する生徒の一人一人をみつめながら、指揮に没頭している姿には感動を押さえることができなかった。

啄木の「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」との句が、その姿と重なった。

同時に、夏休み中、休み明けにあるコンクールに向けて、1日も休むことなく、中学の吹奏楽部の指導に全力を尽くすなかで白血病で亡くなった教師の事件も心に浮かんだ。

私も高校時代、弱小ながらも軟式庭球部のキャプテンをするなかで多くのことを学んだし、息子も中学・高校のバスケット部の部活のなかで輝いていた。

一方、この1年余りの間に、私が担当する3件の教師の過労死事件で公務災害としての認定がなされたことは、「中学校の部活動顧問の過労死」のブログで述べたとおりだ。

部活が、それなしでも校務に追われる教師に過大な負担となり、心身の健康を損ねることのないよう行われるべきは当然である。それが、顧問の教師にとって生き甲斐となったとしても、過大な負担となり、教育全体を歪める結果となってはならない。

では、部活はどうあるべきなのか。教師のなかでの議論の深まりに期待したい。

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