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2016年5月23日 (月)

過労自殺損害賠償請求訴訟の原点
―最高裁電通過労自殺判決とその判例解説―

平成12年3月24日、最高裁第2小法廷は、電通過労自殺損害賠償請求事件判決で、
「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、労働安全衛生法65条の3は、作業の内容等を特に限定することなく、同法所定の事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努めるべき旨を定めているが、それは、右のような危険が発生するのを防止することをも目的とするものと解される。これらのことからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。」
と判示した。

この最高裁判決は、その後の脳・心臓疾患も含めた過労死・過労自殺損害賠償請求事件の原点であり、その後の判決は、この最高裁電通事件判決に沿って判断されている。

今から15年前において、この判決が下された背景について私が考えることは、本ブログの『過労死問題を「大河内理論」から考える』で述べたので、それに譲ろう。

この最高裁判決の判例解説(法曹時報52巻第9号等)が、最高裁の八木一洋調査官によって書かれている。この判例解説は、判決そのものに匹敵すると言っても過言でない重要性を損害減額事由、そして予見可能性の対象等についての論述において有している。

準備書面を書くにつき行き詰まったときは、事件記録とともに、この判例解説を読み直すのが私のやり方だ。
世間ではよく、裁判官は世間知らずだ、とか、労働の現場のことを知らない、とか言うことがある。
しかし、電通のこの事件でもそうであったが、労働者が自己申告時間を過少申告する不合理な行動をとるのはなぜか、それは労働者の落ち度と考えてよいのか、との点について、八木調査官は注50においてつぎのように考察している。(一部のみなので全文を是非読んで下さい。)

「既に労働時間の上限に近い状態で業務が遂行されている状況において、中間管理職が更に業務の成果物の量の増大を目指し、一方、業務の性質からしてその効率性(実質労働生産性)を向上させることが困難な場合には、実際には右上限を超える労働時間につきその名目量の調整をもって対処するほかはない。これは、名目労働生産性を実際よりも高いものであるかのように示すことと同義である。当該職場において労働時間の自己申告制が採用されているならば、従業員にその労働時間を過少に申告させることによって、右に述べたところに沿う結果を得ることができる。これに対し、従業員としても、前記のような状況下において、中間管理職の関心が名目労働生産性の点にあり、それが自己の能力の評価、ひいては昇進に影響すると認識している場合には、労働時間を過少に申告することによって現在失われる利益よりも、自己に対する評価が高まり昇進することによって得られるであろう将来の利益の方が大きいと判断して、労働時間を過少に申告する行動を選択することがあり得よう。発端となる事情のいかんはひとまずおいて、当該職場において右のような行動を執る従業員がある程度の数に達すると、労働時間を過少に申告することが、従業員間の人事考課上の競争における事実上の前提条件と化する可能性がある。こうした状態が生ずると、遅れて当該職場に加わった者(新入社員等)について、業務遂行に不慣れなことに起因する当面の労働生産性の低さを補う事情もあり、既に競争の前提条件となっている労働時間の過少申告行動を採用しようとする傾向が高まることが考えられる。」

労働現場において労働時間が適正に把握されず、過少申告がなされる構造について、実に的確な指摘をしていることに驚かされる。
この注を読んだ以降、私にも残っていた、裁判官は世間知らず、との考え方を改めさせられた。もっともそういう裁判官も皆無ではないけど・・・。

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