過労自殺した松山市新入職員の件についての和解成立と、遺族である「お父様へのお便り」のメール
平成23年4月に大学新卒で松山市職員として採用され納税課に配属されたJさん(当時22才)は、入職半年後の9月5日に自殺した。
入職して納税課で担当した滞納案件は450件~500件だったが、7月には先輩職員と同様1300件~1400件と3倍に増加した。その結果Jさんの8月の時間外勤務は100時間を超え、うつ病を発病し自殺に至っている。
ご両親は松山地裁に松山市を被告として損害賠償訴訟を提訴し、本年1月20日松山市の責任を認める和解が成立した。
和解後、Jさんのお父様はNHKの取材を受けたが、和解が成立したことについて、「父親としての最低限の役割を果たしたと思う」と謙虚なコメントを述べた。
NHKのこのニュースを見たというKさんから、「私も亡くなられた彼と同様の厳しい立場に立った経験があり、筆をとらずにはおられず、お便りをさせて頂きました」と、私宛に「亡くなられた青年のお父様へ」と題するメールが届いた。
お父様の「最低限の役割」とのコメントに対し、「お父様が果たされたのは『最低限の役割』なんかではないです。父親として、人として『最大限の役割』を果たされたと、私は思っています。」と述べ、「これからも、お父様が裁判を戦い抜かれたことによって、道が開け、救われる若者が数多く出てくることでしょう。」と語っている。
このメールを読んだとき、私にはある作家の小説の最後に出てくる、「希望とは道のようなものだ、はじめはあるかなきかだが、多くの人が歩むことで道はできる」との言葉を思い出した。
かつて過労死、とりわけ過労自殺は社会的に認知されず、労災認定さえ極めて困難で、損害賠償責任を問うのはラクダが針の穴を通るようなものと言われていた。
しかし、遺族、被災者が、あるかなきかの困難な道を一人歩み、二人歩み、そして多くの人たちが歩むなかで救済の道は拓け、一昨年には、遺族らが100万人署名に取り組むなかで、国会で全会一致で過労死等防止対策推進法が成立するに至っている。
このメールをお父様にすぐ転送した。息子さんの命を失った悲しみを、このKさんのメールが少しでも癒やすことができればと思う。
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