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2015年6月 9日 (火)

過労死問題を「大河内理論」から考える

「社会政策とは総資本による一定の量と質を持った労働力を確保するための政策である。」
社会政策の泰斗であり東大総長であった故大河内一男氏の、社会政策理論の主柱となる考え方だ。東大の卒業式であったと記憶しているが、「太ったブタよりは、痩せたソクラテスとなれ」と学生に訓示したことも昔の方なら覚えているかも知れない。

過労死問題を考えるとき、この「大河内理論」が重なってくる。最高裁電通過労自殺判決は「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。」と、今から15年前において言い切っている。個々の会社(=個別資本)による利益を最大化するために、労働者を長時間労働等過重な業務に従事させ、その心身を損ねるような状況が労働現場において生じていることに対し、最高裁という司法権力のトップが総資本の立場からレッドカードを突きつけた判決と言うことができないだろうか。

心身を損ね過労死が生じるような状況は、本来は労使合意のなかで適正な労働時間が形成されることによって回避されるのが当然だし、労基法も三六協定はそれを期待している。
しかし、労使合意の下での三六協定の多くは、過労死ラインである月80時間以上の時間外労働を容認したものとなっている。また、労働時間を適正に把握されないまま、労働現場では企業規模の大小を問わず労働者の心身の健康が損なわれる状況、即ち「一定の量と質の労働力を確保する」ことさえ困難な過重な長時間労働がはびこっている。「我が亡き後に洪水よ来たれ」との状況と言っても過言でない。このような状況に対する、総労働のみならず総資本の規制力が失われたことへの危機感を、この最高裁判決から読みとるのは穿ちすぎだろうか。

労働者そして労働組合の要求は、「心身の健康を損ねる」ことの防止に止まってはならない。メーデーの起源は「8時間は労働に、8時間は休息に、そしてあとの8時間は我らの自由のために」という要求から生じている。
8時間労働を原則とし、8時間の休息により心身の健康を確保し、更に8時間の自由な時間のなかで、家庭や地域での生活、人として主権者としての文化的、政治的考察、行動をする、それが労働者としての要求であり、世界のそして日本の労働運動はそれを目指してきたはずだし、労基法もその考えに立脚したものである。

私が司法試験を受験したとき、教養の受験科目があり、経済学部出身ということもあって「社会政策」を受験し「大河内理論」を学んだ。

過労死問題を考えるとき、この理論の意味を考えるとともに、これを乗り越える運動が今求められている。

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