2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ

« サービス残業があるときの労災の年金額の算定 | トップページ | 長崎大学職員の過労自殺を業務上と認めた判決
―過労自殺事件における発病の時期の重要性― »

2015年4月10日 (金)

私が過労死専門弁護士になったわけ

依頼者から「若い先生ですねー」と不安気に見られながら弁護士の仕事を始めて40年、夫となり父となったこと以外、私生活上もさしたる波乱もなく年月は過ぎ去った感がある。

仕事は、隣の犬が自分に庭に入り込んで困るからと、犬の係留仮処分申立てをすることに始まり、世の中の大小を問わず、あらゆる事件を断ることなく受任してきた。

仕事の区切りをつけたのは還暦のとき、自分のハートに最も近い事件、やりがいのある事件と考え、過労死・過労自殺の事件のみしかやらないとワガママな決意をした。

私の生れは東京・新宿、商店街にある小さな米屋のせがれとして育ち、近所には中卒で集団就職し、汗水たらして働いている若者(自分も若者だったが)がいた。商店街の若者でサークルをつくり、フォークダンスをしたとき、漬物屋で働いていた女の子のヒビ割れた手に触れたとき、働くことの尊さが伝わってきた。この事件のみとの決意をさせたのはそんな思いかもしれない。

大切な人を失い涙にくれるばかりだった遺族が、労災認定の声をあげ、会社の責任追及に立ち上がり、国に対し過労死防止基本法の制定をするまでに至っている。

過労死・過労自殺あるところどこへでも飛んでいく、フーテンの寅さんの如き東奔西走の仕事に、妻からはもういいかげんにしたらとの声も聞こえるが、「お年寄りの先生ですねー」と不安気に依頼者に見られるまでは走り続けよう。

« サービス残業があるときの労災の年金額の算定 | トップページ | 長崎大学職員の過労自殺を業務上と認めた判決
―過労自殺事件における発病の時期の重要性― »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 私が過労死専門弁護士になったわけ:

« サービス残業があるときの労災の年金額の算定 | トップページ | 長崎大学職員の過労自殺を業務上と認めた判決
―過労自殺事件における発病の時期の重要性― »